動物由来感染症リスクとしての鳥インフルエンザの世界的な拡大:食肉・鶏卵・飼料サプライチェーンへの影響と対策
はじめに:動物由来感染症リスクとしての鳥インフルエンザの再評価
近年、鳥インフルエンザ、特に高病原性鳥インフルエンザウイルス(HPAIV)であるH5N1亜型の世界的な拡大が、従来の家禽産業における地域的な問題を超え、哺乳類への感染拡大や複数地域での同時流行といった新たな局面を迎えています。これは、グローバルな食料・農産物サプライチェーン、特に食肉、鶏卵、飼料といった畜産関連分野に対し、かつてない構造的リスクをもたらしています。
本稿では、鳥インフルエンザの世界的な拡大動向を概観し、それが畜産・食品サプライチェーンの各段階に与える具体的な影響を分析します。さらに、このリスクに対する企業の潜在的な対応策、リスク評価の視点、そして今後の展望について考察することを目的とします。サプライチェーンリスク管理に携わる専門家の皆様にとって、本稿がリスク評価および対策立案の一助となれば幸いです。
鳥インフルエンザの世界的な拡大状況と新たな側面
鳥インフルエンザの流行は過去にも繰り返し発生してきましたが、現在の状況はいくつかの点で異なります。最も顕著なのは、H5N1亜型の地理的な広がりと、家禽だけでなく野生鳥類や様々な哺乳類への感染が確認されている点です。
- 地理的な拡大: 欧州、アジア、アフリカに加え、これまで比較的影響が少なかった南北アメリカ大陸でも広範な流行が見られています。これにより、複数の主要な生産・供給地域が同時にリスクに晒される可能性が高まっています。
- 哺乳類への感染: 猫、犬、アザラシ、クマなどに加え、最近では牛の感染事例も報告されています。これは、ウイルスの変異や、異なる種間での伝播の可能性を示唆しており、疾病管理とサプライチェーン衛生管理の複雑性を増しています。
- 高病原性: 感染した家禽における致死率が高く、大規模な殺処分が必要となるケースが多いことから、瞬時に大量の供給が途絶えるリスクを内包しています。
このような状況は、過去の限定的な鳥インフルエンザ流行、あるいは人獣共通感染症であるSARSやMERS、COVID-19といった主にヒトからヒトへの感染が主体のパンデミックとは異なり、動物集団における持続的な流行がサプライチェーンの物理的な供給能力に直接かつ広範囲に影響を与えるという、独自の課題を突きつけています。
畜産・食品サプライチェーンへの具体的な影響
鳥インフルエンザの世界的な拡大は、畜産・食品サプライチェーンの各段階において多岐にわたる影響を及ぼします。
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生産段階(農場):
- 物理的な供給減少: 感染確認時や予防的な措置としての殺処分により、食肉(鶏肉、七面鳥肉など)、鶏卵といった一次産品の供給量が突発的に、かつ大規模に減少します。これは特に特定地域に生産が集中している場合に深刻な影響をもたらします。
- コスト増加: 防疫措置の強化、消毒費用、バイオセキュリティ投資、殺処分後の処理費用など、生産者にとってのコスト負担が増大します。
- 労働力への影響: 感染拡大地域における作業員の健康リスク懸念や移動制限により、労働力の確保が困難になる可能性があります。
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加工・流通段階:
- 加工能力の低下: 生産段階での供給減少に加え、加工施設自体の稼働停止(感染確認、衛生管理徹底のため)や、作業員の健康問題による労働力不足が、加工能力の低下を招きます。
- 物流の遅延・コスト増加: 感染発生国・地域からの輸送に対する検疫の強化、通関手続きの厳格化により、物流に遅延が生じ、輸送コストが増加します。また、冷蔵・冷凍コンテナや施設の需給バランスが崩れる可能性もあります。
- 飼料サプライチェーンへの影響: 穀物、大豆かすなどの飼料原料の生産や輸送が鳥インフルエンザの影響を直接受けるわけではありませんが、畜産活動の縮小は飼料需要の減少や在庫過多を引き起こし、飼料サプライチェーン全体に影響を与える可能性があります。特に、特定の栄養素や添加物のサプライヤーが限定されている場合、代替調達が困難になるリスクも考慮が必要です。
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貿易・市場段階:
- 貿易制限: 感染発生国・地域からの畜産物や関連製品(雛、種卵など)に対する輸入禁止措置が多くの国で実施されます。これは、輸出入に依存する企業にとって、最も直接的かつ大きなリスク要因となります。特定の供給元に依存している場合、代替調達先の確保が急務となりますが、国際的な供給網全体が影響を受けている場合は困難を伴います。
- 価格変動: 供給量の減少と貿易制限は、国際市場における価格の急激な高騰を招きます。これは、食品メーカー、外食産業、小売業など、最終製品に関わる企業にとって原材料費の上昇という形で影響します。
- 代替需要: 供給不足や価格高騰は、消費者行動の変化を促し、他のタンパク質源(豚肉、牛肉、植物性タンパク質など)への需要シフトを引き起こす可能性があります。これは、関連する他のサプライチェーンにも影響を波及させます。
リスク評価と対策立案の視点
鳥インフルエンザリスクに対してレジリエントなサプライチェーンを構築するためには、以下の視点でのリスク評価と対策が不可欠です。
- サプライヤーおよび生産拠点の分散度評価: 主要な供給元(国、地域、特定のサプライヤー)の地理的な集中度を詳細に分析します。過去の感染発生状況や、各国の防疫体制についても評価要素に加えるべきです。GISデータなどを活用し、リスクの高い地域を特定することが有効です。
- 代替供給源の確保可能性: 主要な供給元が途絶した場合の代替となりうる供給元(国内、他国)の能力、品質、コスト、リードタイム、およびそれらの代替供給元自身のリスク(鳥インフルエンザ以外のリスクを含む)を事前に評価しておきます。
- 在庫戦略の最適化: リスクの高い品目について、適切かつ経済的な範囲での在庫水準を見直します。ただし、生鮮品や冷凍品の場合は保管能力やコストに限界があるため、単なる在庫積み増しだけでなく、他の対策との組み合わせが必要です。
- トレーサビリティシステムの強化: サプライチェーン上での製品や原料の移動を正確に追跡できるシステムは、感染発生時の影響範囲特定、回収対応、原因究明に不可欠です。
- 契約条項の見直し: サプライヤーとの契約における不可抗力条項や Force Majeure 条項について、パンデミックや動物疾病の流行がどのように扱われるかを確認し、必要に応じてリスク分担に関する条項を見直します。
- 法規制・貿易制限動向のモニタリング: 各国の動物衛生機関や世界動物保健機関(WOAH)からの公式発表、各国の農林水産省や貿易関連省庁からの情報を継続的に収集し、貿易制限の発動や解除の動向を迅速に把握することが重要です。
- BCP(事業継続計画)の見直し: 従業員の健康と安全確保を最優先としつつ、生産、加工、物流といったサプライチェーンの各機能がリスク発生時にも最低限維持できるよう、BCPを定期的に見直し、訓練を実施します。特に、作業員の代替確保策やリモートワークの適用可能性などを検討します。
- 情報共有と連携: 業界団体、公的機関、サプライヤー、顧客との間でのリスク情報の共有と連携体制を構築します。正確かつ迅速な情報伝達は、適切な意思決定と対策実行の基盤となります。
今後の展望と監視すべきポイント
鳥インフルエンザの世界的な拡大は、単年度のリスクではなく、気候変動や野生動物の生態変化とも関連しながら、今後も継続的にサプライチェーンへの脅威となり続ける可能性があります。特に、H5N1ウイルスがさらに変異し、ヒトへの効率的な感染能力を獲得するリスクは、公衆衛生とサプライチェーンの両面で最も懸念されるシナリオの一つです。
サプライチェーンの専門家が今後監視すべきポイントとしては、以下の点が挙げられます。
- ウイルスの感染動向: 世界動物保健機関(WOAH)、各国の動物衛生当局からの最新の感染確認情報、感染地域、対象動物種(特に哺乳類への感染事例)、およびウイルスの遺伝子情報(変異の有無)に関する情報。
- 貿易関連措置: 各国による輸入制限、検疫強化などの措置の発動および解除の動向。
- 国際市場価格: 食肉(鶏肉、その他)、鶏卵、飼料原料の国際市場における価格変動。
- 主要生産国の防疫体制強化への投資動向: 長期的な供給安定性に関わる要素。
- 代替タンパク質市場の成長と技術動向: 植物性タンパク質や培養肉などの代替技術の進展と市場への影響。
結論
鳥インフルエンザの世界的な拡大は、もはや単なる畜産業界のローカルリスクではなく、グローバルな食料・食品サプライチェーン全体にとって、無視できない構造的なリスクとなっています。物理的な供給途絶、コスト変動、貿易障壁といった具体的な影響は、サプライチェーンのレジリエンスを多角的に評価し、対策を講じることの重要性を改めて浮き彫りにしています。
このリスクへの対応は、単一の対策で完結するものではなく、地理的分散化、在庫戦略、トレーサビリティ強化、契約リスク管理、BCP見直し、そして何よりも正確かつ迅速な情報共有と関係者間の連携が統合的に求められます。今後もウイルスの進化や感染状況は変化し続けると考えられ、サプライチェーンリスク管理においても、継続的なモニタリングと柔軟な対応が不可欠となります。