重要インフラ(送電網等)への物理的・サイバー攻撃リスク増大:基幹産業サプライチェーンへの影響分析とレジリエンス構築
はじめに:サプライチェーンの基盤を揺るがす重要インフラリスク
現代のグローバルサプライチェーンは、電力、通信、輸送といった基盤となる重要インフラに高度に依存しています。中でも電力供給を担う送電網は、生産施設の稼働、物流システムの運用、データ通信基盤の維持に不可欠であり、その安定性はサプライチェーン全体のレジリエンスに直結します。
近年、地政学的な緊張の高まりや技術の進化に伴い、この重要インフラ、特に送電網に対する物理的およびサイバー的な攻撃リスクが増大しています。国家支援型アクター、テロ組織、さらには高度化したサイバー犯罪グループなどが、送電網の脆弱性を標的とする可能性が指摘されています。本稿では、重要インフラへの物理的・サイバー攻撃リスクの現状を分析し、それが基幹産業のサプライチェーンに与える具体的な影響、そして企業がこうしたリスクに対応するためのレジリエンス構築の視点について論じます。
増大する物理的・サイバー攻撃リスクの現状
重要インフラに対する攻撃は多様化しています。
物理的攻撃リスク
物理的な攻撃は、変電所や送電塔などの設備そのものを破壊する行為です。テロ組織による破壊活動に加え、国内の政治的・社会的不安に乗じた妨害行為、あるいは敵対国家による特殊部隊を用いた攻撃シナリオなども考慮されるべきリスクです。こうした攻撃は、設備への直接的な損害に加え、広範囲な停電を引き起こし、復旧に時間を要する可能性があります。過去には、意図的な銃撃や爆破によって変電所が機能不全に陥り、広範囲に影響が及んだ事例が報告されています。
サイバー攻撃リスク
送電網は、SCADA(Supervisory Control and Data Acquisition)やDCS(Distributed Control System)といった産業制御システム(ICS)によって高度に制御されています。これらのシステムは、かつては閉じたネットワークで運用されていましたが、効率化やリモート監視のためにITネットワークとの接続が進み、サイバー攻撃の標的となりやすくなっています。
サイバー攻撃の手法も進化しており、ランサムウェアによるシステム麻痺、重要データの窃盗、あるいはシステムへの不正アクセスによる運用妨害や設備破壊などが考えられます。特に、国家支援型アクターによる攻撃は、高度な技術と組織力によって、巧妙かつ持続的にシステムへの侵入を試みる傾向があります。過去には、特定の国の電力システムがサイバー攻撃を受け、一時的な停電が発生した事例も存在します。
複合攻撃リスク
さらに懸念されるのは、物理攻撃とサイバー攻撃を組み合わせた複合攻撃です。例えば、物理的な破壊活動と同時に、監視システムや通信システムにサイバー攻撃を仕掛け、被害の拡大や復旧の遅延を狙うシナリオです。これにより、従来の防御策では対処しきれない複雑なリスクが生じます。
サプライチェーンへの具体的な影響分析
重要インフラ、特に送電網への大規模な攻撃が発生した場合、サプライチェーンには多岐にわたる深刻な影響が及びます。
生産機能への影響
電力供給が停止すれば、工場は稼働できません。特に連続生産プロセスを持つ化学、石油化学、半導体、製薬などの産業では、数時間の停止が多大な損害や原材料の廃棄につながる可能性があります。また、復旧後もシステムの再起動や品質の確認に時間を要し、生産能力の回復が遅れることも想定されます。半導体製造のように精密な温度・湿度管理やクリーンルーム環境が必須な産業では、短時間の停電でも製品ロスが発生するリスクがあります。
物流・輸送機能への影響
港湾のコンテナターミナル、空港、鉄道運行システム、道路交通管制システムなども電力や通信に依存しています。大規模停電は、これらの物流ハブや輸送インフラの機能を麻痺させ、貨物の滞留や輸送経路の遮断を引き起こします。冷凍・冷蔵が必要な医薬品や食品の輸送は、電力供給停止により品質劣化のリスクに晒されます。倉庫管理システムや配送管理システムといったデジタル基盤も機能停止し、正確な在庫把握や配送手配が困難になります。
調達・販売機能への影響
サプライヤーや顧客との間の通信、決済システム、受注システムなども重要インフラに依存しています。電力や通信が停止すれば、発注・受注活動が停止し、在庫情報の共有や出荷指示ができなくなります。オンライン販売チャネルは完全に機能不全に陥り、小売業やEコマース事業に深刻な影響を与えます。
データ通信・ITシステムへの影響
企業の基幹システム、ERP(Enterprise Resource Planning)、クラウドサービス、顧客データベースなどは、データセンターの安定稼働に依存しています。データセンターは膨大な電力を消費しており、電力供給が停止すれば、たとえ非常用電源があっても長時間の維持は困難です。これにより、企業のITシステム全体がダウンし、ビジネスオペレーションが停止する可能性があります。
法規制・風評リスク
重要インフラへの攻撃が発生した場合、政府はセキュリティ規制や情報共有の義務を強化する可能性があります。企業はこれらの新たな規制への対応を迫られるほか、インフラ停止による事業中断や製品供給不足は、企業の信頼性やブランドイメージに深刻な風評被害をもたらす可能性があります。
リスク評価とレジリエンス構築の視点
重要インフラへの物理的・サイバー攻撃リスクに対処するため、企業は以下の視点に基づいたリスク評価とレジリエンス構築を進める必要があります。
供給網の電力・通信依存度評価
自社の生産拠点、倉庫、データセンター、主要サプライヤー、顧客、および重要な物流経路が、どのような電力・通信インフラに依存しているかを詳細にマッピングします。GISデータなどを活用し、特定のインフラが攻撃された場合に影響を受ける範囲を視覚化することも有効です。
冗長性の確保と代替手段の検討
電力供給については、自家発電設備の設置や複数の系統からの受電、蓄電池システムの導入などが考えられます。通信についても、有線・無線の複数回線契約や衛星通信バックアップなどを検討します。物流経路に関しても、代替ルートの確保や輸送手段の多様化を検討します。
サイバーセキュリティ対策の強化
特にICS/SCADAシステムを含むOT(Operational Technology)領域のセキュリティ対策は喫緊の課題です。ITシステムとは異なるOTシステムの特性(リアルタイム性、可用性重視など)を理解し、セグメンテーション、アクセス制御、脆弱性管理、異常検知システムの導入、従業員教育などを強化する必要があります。サプライヤーに対しても、同様のセキュリティレベルを要求することが重要です。
物理的セキュリティ対策
重要拠点や設備の物理的なセキュリティ対策を強化します。不審者の侵入を防ぐための対策や、重要機器の保護、監視体制の強化などが含まれます。
インシデント対応計画とBCPの策定・訓練
重要インフラ停止時を想定したインシデント対応計画(IRP)と事業継続計画(BCP)を策定し、定期的な訓練を実施します。電力・通信の代替確保だけでなく、手動でのオペレーション手順、重要データのオフラインバックアップ、従業員の安否確認・連絡体制なども具体的に定めます。
情報共有と官民連携
重要インフラに関するリスク情報は、インフラ提供事業者、政府機関、関連業界団体との間での情報共有が不可欠です。企業は、これらの情報共有フレームワークに参加し、リスクに関する最新情報を入手するとともに、自社の状況を共有することで、インフラ全体のレジリエンス向上に貢献することが求められます。
今後の見通しと監視すべきポイント
重要インフラへの攻撃リスクは、今後も高まる傾向にあると考えられます。地政学的な対立構造が続く限り、国家関与のリスクは減少しません。また、サイバー攻撃の手法は常に進化し、AIなどの新技術が悪用される可能性も指摘されています。
企業は、これらのリスク動向を継続的に監視し、自社のサプライチェーンへの潜在的な影響を再評価していく必要があります。特に、エネルギー政策、サイバーセキュリティ政策、重要インフラ保護に関する各国の法規制動向は注視すべきポイントです。また、自社だけでなく、サプライヤーや物流パートナー、顧客など、サプライチェーン上の他のアクターの重要インフラ依存度と対策状況についても、連携して把握・改善を進めることが、全体のレジリエンス向上には不可欠となります。
結論
送電網をはじめとする重要インフラへの物理的・サイバー攻撃リスクの増大は、グローバルサプライチェーンにとって看過できない脅威です。生産、物流、通信、ITシステムなど、サプライチェーンのあらゆる側面がこのリスクに晒されています。企業は、このリスクを自社のBCPやリスクマネジメント戦略の中心的な課題の一つとして位置付け、サプライチェーン全体の電力・通信依存度を詳細に分析し、多層的な防御策、冗長性の確保、そして強固なインシデント対応・BCP体制を構築することが強く求められています。重要インフラのレジリエンスは、企業の、そして社会全体のサプライチェーンの安定稼働の礎となるものです。