グローバルサプライチェーンと人権デューデリジェンス:強制労働防止法等への対応
はじめに:サプライチェーンにおける人権リスクの高まり
近年、企業が事業活動を行う上で、環境問題や気候変動リスクに加え、人権に関するリスクへの対応が不可欠となっています。特に、グローバルに展開するサプライチェーンにおいては、自社のみならず、その調達先や委託先など、下流・上流を含む広範なネットワークにおける労働環境や人権侵害のリスクが問われるようになっています。
欧米を中心に、企業に対しサプライチェーンにおける人権侵害リスクへのデューデリジェンス(適正評価手続き)を義務付けたり、特定の地域での強制労働によって生産された製品の輸入を規制したりする法規制が次々と導入されています。これらの法規制は、グローバルサプライチェーンを構築する企業にとって、従来の品質・コスト・納期管理に加え、新たな、かつ複雑なコンプライアンスリスクおよびオペレーショナルリスクを発生させています。
本稿では、近年導入が進む人権関連法規制の動向、特にサプライチェーンにおける強制労働防止に焦点を当てた規制がグローバルサプライチェーンに与える具体的な影響、そして企業がとるべきデューデリジェンスのあり方について分析します。
主要な人権関連法規制の動向
人権リスクに関する企業の責任は、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」やOECDの「多国籍企業行動指針」、同「責任ある企業行動のためのデュー・ディリジェンス・ガイダンス」といった国際的な枠組みによって示されてきました。これらを背景に、各国で企業にサプライチェーンにおける人権デューデリジェンスの実施を求める法規制が導入されています。
特に影響力の大きいものとして、以下のような法規制が挙げられます。
- 米国のウイグル強制労働防止法(Uyghur Forced Labor Prevention Act - UFLPA): 新疆ウイグル自治区で生産された全ての製品は強制労働によって生産されたと推定し、輸入を原則禁止する法律です。この推定を覆すためには、輸入者が強制労働が関与していないことを明確かつ説得力のある証拠によって証明する必要があります。これは、特定の地域からの製品について、サプライチェーン全体にわたる徹底的なトレーサビリティと立証責任を企業に課す点で、従来の規制よりも厳格なものとなっています。
- 欧州連合(EU)の企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(Corporate Sustainability Due Diligence Directive - CSDDD): 企業に対し、自社およびそのバリューチェーン全体において、人権および環境に関するネガティブな影響を特定し、防止、軽減、是正するデューデリジェンス義務を課すものです。違反に対しては、罰金や民事責任の追及も含まれます。EU域内の企業だけでなく、一定の条件を満たす域外の企業も対象となりうる広範な影響を持つ規制です。
- ドイツのサプライチェーン・デューデリジェンス法(Supply Chain Due Diligence Act): ドイツ国内で一定規模以上の企業に対し、人権および特定の環境リスクに関するデューデリジェンス義務を課すものです。こちらも、直接のサプライヤーのみならず、場合によっては間接のサプライヤーにも遡ってリスクを特定・評価する努力義務を課しています。
- 英国の現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015): 一定規模以上の企業に対し、サプライチェーンにおける現代奴隷や人身取引のリスクに対する取り組みに関する声明(声明書)の公開を義務付けています。義務は情報の開示に主眼が置かれていますが、企業の透明性向上と意識改革を促す効果があります。
これらの法規制は、それぞれ対象企業、義務の内容、罰則などに違いがありますが、共通しているのは、企業が自社の「見える範囲」だけでなく、そのサプライチェーン全体にわたる人権リスクに対する責任を問われるようになっているという点です。
サプライチェーンへの具体的な影響
これらの人権関連法規制は、グローバルサプライチェーンに対し多岐にわたる影響を与えています。
- 調達戦略の見直し: 特定地域からの調達が困難になる、あるいは禁止されるリスクが高まります。企業は代替調達先の確保や、強制労働リスクの低い地域への生産移管を検討する必要があります。また、新規サプライヤーの選定においては、価格や品質だけでなく、人権・労働慣行に関する評価が重要な要素となります。
- サプライヤー管理の強化: サプライヤーに対する監査やモニタリングの基準が厳格化します。サプライヤーが人権デューデリジェンスに関する要求に応えられない場合、取引停止を余儀なくされる可能性も生じます。サプライヤーと連携し、彼らの人権リスク管理能力向上を支援する必要性も高まります。
- トレーサビリティの向上: サプライチェーンの奥深くまで、原材料の起源や各製造・加工段階における労働条件を追跡できる仕組み(トレーサビリティシステム)の構築が求められます。特に米国UFLPAのように推定規定を含む規制に対応するためには、綿密な記録管理とそれを証明する能力が必要です。
- 物流・通関プロセスのリスク: 規制対象となる製品の輸出入において、通関当局による差止めや詳細な調査を受けるリスクが生じます。これにより、リードタイムの遅延や追加コストが発生する可能性があります。
- コスト増加: デューデリジェンス体制の構築、サプライヤー監査、トレーサビリティシステムの導入、代替調達先の探索などは、いずれも企業に新たなコスト負担をもたらします。
- 風評リスクとブランドイメージ: 法規制違反が明るみに出た場合、罰則だけでなく、消費者や投資家、NGOからの批判に晒され、企業のブランドイメージや信用が大きく損なわれる可能性があります。
リスク評価と対策立案の視点
サプライチェーンにおける人権リスクに対応するためには、体系的なリスク評価と対策立案が必要です。OECDデュー・ディリジェンス・ガイダンスなどが示すフレームワークが参考になります。
- コミットメントの表明: 企業として人権尊重の責任を果たすこと、およびサプライチェーンにおける人権侵害の防止・是正に取り組むことを明確に表明する方針(ポリシー)を策定します。
- リスクの特定と評価: 自社のサプライチェーン全体において、人権侵害が発生する可能性のある地域、産業、サプライヤー、製品などを特定し、その発生可能性と影響の深刻度を評価します。GISデータを用いた地域別リスク分析、産業別のリスクプロファイル参照、過去事例の分析などが有用です。強制労働リスクが高いとされる地域やセクター(例: 特定の鉱物採掘、繊維・アパレル生産、農産物収穫など)に特に注意を払う必要があります。
- リスクへの対応: 特定されたリスクに対して、防止または軽減するための対策を講じます。これには、サプライヤーへの行動規範遵守の要求、定期的な監査(第三者機関による監査も含む)、キャパシティビルディング支援などが含まれます。
- 成果の追跡: 実施した対策の効果を継続的に評価し、改善点がないかを確認します。KPI設定や進捗管理が重要です。
- 報告とコミュニケーション: サプライチェーンにおける人権デューデリジェンスへの取り組み状況について、ステークホルダーに対し適切に報告します。ウェブサイトでの情報公開やサステナビリティレポートへの記載などが考えられます。
- 苦情処理メカニズム: 企業活動やサプライチェーンにおける人権侵害に関する苦情や懸念を受け付け、適切に対応するためのメカニズムを構築します。
これらのプロセスを実行するためには、サプライチェーンの可視化技術の活用や、サプライヤーとの建設的な対話が不可欠です。特に、サプライチェーンの「n層目」まで遡って情報を収集・検証することは容易ではなく、ブロックチェーンやAIを用いたトレーサビリティプラットフォームの導入なども検討に値します。
まとめ:人権デューデリジェンスの戦略的重要性
グローバルサプライチェーンにおける人権関連法規制の強化は、一過性のトレンドではなく、企業の持続可能な経営にとって不可欠な要素となりつつあります。単なる法的コンプライアンスとしてだけでなく、企業のレジリエンス向上、ブランド価値維持、そして社会的責任を果たす上での戦略的重要性が増しています。
企業は、サプライチェーン全体にわたる人権リスクを継続的に監視・評価し、実効性のあるデューデリジェンス体制を構築する必要があります。これは、新たなリスクへの対応であると同時に、サプライヤーとの関係強化や透明性の向上を通じて、より強固で倫理的なサプライチェーンを構築する機会でもあります。今後の法規制の拡大や、消費者・投資家の意識の変化にも注視しながら、サプライチェーンにおける人権尊重の取り組みを進めていくことが求められています。