医薬品・医療機器サプライチェーンのレジリエンス評価:生産拠点の集中リスクと自然災害・規制動向の影響
医薬品・医療機器サプライチェーンにおけるリスクの多様化とレジリエンスの必要性
医薬品および医療機器は、人々の健康と生命に関わる極めて重要な物資であり、そのサプライチェーン(SC)の安定性は社会インフラの一部として認識されています。グローバル化が進展する中で、医薬品・医療機器のSCは複雑かつ広範になり、原材料調達から製造、物流、最終消費地への配送に至るまで、多くの国・地域が関与しています。しかし、近年、パンデミック、地政学的な緊張、自然災害の頻発化など、多様なリスク要因がこの重要なSCの脆弱性を顕在化させています。本稿では、医薬品・医療機器SCが直面する主要なリスク要因を分析し、レジリエンス(強靭性)を高めるための評価と対策の視点について考察します。
生産拠点の集中リスクとその影響
医薬品の製造、特に原薬(API: Active Pharmaceutical Ingredient)や中間体の生産は、特定の地域に集中する傾向が見られます。これは、コスト効率や特定の技術的知見の蓄積といった要因に起因しています。例えば、中国やインドは、世界的に見てもAPI生産において重要な位置を占めています。この生産拠点の集中は、以下のようなリスクをもたらします。
- 供給途絶リスク: 特定の生産拠点である国や地域において、自然災害(地震、洪水など)、疫病の流行、政治的な不安定化、環境規制強化による工場操業停止、品質問題、あるいは輸出規制などが突発的に発生した場合、グローバルな供給網全体に深刻な影響が及びます。単一または少数のサプライヤーに依存している場合、その影響はさらに増幅されます。
- 品質管理・トレーサビリティのリスク: 複雑なグローバルSCにおいては、複数の国・地域を経由するサプライヤー網を完全に可視化し、品質を担保し続けることが課題となります。Tier 2以降のサプライヤーまで含めた詳細なSCマッピングが不十分な場合、予期せぬリスクの温床となり得ます。
Finished Dosage Form (FDF)、すなわち最終製剤の製造についても、特定の国・地域に輸出向け生産拠点が集積しているケースがあり、同様のリスクが存在します。
自然災害・パンデミックがもたらす影響
自然災害やパンデミックは、物理的な被害に加え、労働力、物流、需要と供給のバランスに大きな影響を与えます。
- 物理的・オペレーショナルな影響: 地震、台風、洪水などが生産工場、研究開発施設、倉庫、輸送インフラ(港湾、空港、道路、鉄道)に直接的な損害を与える可能性があります。これにより、製造や物流が停止・遅延します。
- 労働力不足: パンデミック発生時や大規模な自然災害発生後には、従業員の感染や被災により、工場や物流拠点で必要な労働力が確保できなくなり、操業率が低下します。
- 物流キャパシティの制限: 国境閉鎖、フライトのキャンセル、海上輸送コンテナ不足、港湾の混雑、内陸輸送の制限などが複合的に発生し、製品の国際間輸送や国内配送が困難になります。COVID-19パンデミック初期には、航空貨物容量の激減や海上輸送の混乱が、医療物資の供給を大きく阻害しました。
- 需要の急変: パンデミック発生時には、特定の医療機器(例:人工呼吸器、個人用防護具)や医薬品に対する需要が爆発的に増加し、通常のSCでは対応できない供給逼迫を招きました。一方、特定の疾患の治療や手術が延期されることにより、他の医薬品・医療機器の需要が一時的に減少するといった変動も発生します。
過去の事例として、2011年の東日本大震災では、特定の地域に集中していた医薬品中間体や原材料メーカーが被災し、グローバルな医薬品供給に影響を与えたことが挙げられます。
規制動向と地政学的リスクの複雑な絡み合い
医薬品・医療機器は厳格な規制下にある製品であり、各国の承認プロセス、品質基準(GMP等)、流通・販売に関する法規制などがSCの重要な考慮事項となります。これらの規制は変更される可能性があり、SC計画に影響を与えます。
さらに、近年は地政学的なリスクが規制や通商政策と連動し、SCに新たな課題を突きつけています。
- 輸出入規制・関税: 国家間の対立や特定の産業を保護する目的で、医薬品原料や特定の医療機器に対する輸出入規制や関税が課される可能性があります。これにより、調達コストの増加や供給ルートの変更が必要となります。
- 技術移転規制: 先端医療技術や製造技術に関する国家間の競争が激化する中で、特定の技術の国際的な移転やサプライヤーとの協業が制限される可能性があります。
- 「バイ・ナショナル」政策: 特定の製品について、国内あるいは同盟国からの調達を優先する政策(例:米国の"Buy American"条項など)が強化されており、既存のグローバルな調達戦略の見直しが迫られています。
これらの規制・地政学リスクは、SCの効率性だけでなく、コンプライアンスや事業継続性の観点からも慎重な評価が必要です。
レジリエンス評価と対策の視点
医薬品・医療機器SCのレジリエンスを高めるためには、前述のリスク要因を包括的に評価し、戦略的な対策を講じる必要があります。
- SCの可視化とマッピング: Tier 1サプライヤーだけでなく、Tier 2、Tier 3、さらには原材料サプライヤーまで含めた多層的なSCマッピングを実施し、ボトルネックや単一サプライヤー依存のリスクポイントを特定することが重要です。地理情報システム(GIS)を用いた可視化は、自然災害リスクや地政学リスクとの重ね合わせに有効です。
- リスク評価フレームワークの活用: FMEA(Failure Mode and Effects Analysis)やSCORモデル(Supply Chain Operations Reference model)のようなリスク評価フレームワークをSCに適用し、潜在的なリスク事象の影響度、発生確率、検知可能性を定量的に評価します。これにより、対策の優先順位付けが可能となります。
- 供給戦略の多様化:
- デュアルソーシング/マルチソーシング: 重要な原材料や製品について、地理的に分散した複数のサプライヤーからの調達を検討します。
- ニアショアリング/フレンドショアリング: 地政学的リスクの高い地域から、地理的に近く政治的に安定した地域への生産・調達先のシフトを検討します。
- 代替材料・製品の開発: サプライヤーが限定される重要な原材料や製品について、代替となるものがないか、あるいは技術的に可能であれば自社での内製化の可能性も探ります。
- 在庫最適化: 過剰な在庫はコスト増を招きますが、戦略的に重要な品目やリスクの高い地域からの調達品については、一定量の安全在庫や戦略的備蓄を検討することで、短期的な供給途絶リスクに対応できます。製品の重要度やリードタイムに基づいたABCR分析などが有効です。
- 物流戦略の柔軟性向上: 複数の輸送モード(航空、海上、陸上、鉄道)や輸送ルートを確保し、状況に応じて切り替えられる体制を構築します。特定の港湾や空港への依存度を低減させることも重要です。
- SCパートナーとの連携強化: 主要なサプライヤーや物流パートナーとリスク情報(生産状況、在庫、輸送状況など)をリアルタイムで共有し、有事の際の共同での対応計画を策定します。
- テクノロジーの活用: SC可視化プラットフォーム、リスク監視ツール、需要予測・在庫管理システム、AIを用いたリスク予測などは、SCのレジリエンス向上に大きく貢献します。
今後の見通しと監視すべきポイント
医薬品・医療機器SCを取り巻くリスク環境は、今後も変化し続けると予想されます。気候変動による異常気象の常態化、地政学的な緊張の継続、技術競争の激化、そして新たな感染症の脅威などは、常に監視すべき重要なポイントです。
企業は、単に効率性やコスト最適化のみを追求するのではなく、レジリエンスを経営戦略の中核に位置づける必要があります。定期的なリスク評価とSCのマッピング更新、代替戦略の検討、そしてサプライチェーン全体での情報共有と協力体制の構築が、不測の事態が発生した場合でも、必要な医薬品・医療機器を安定的に供給し続けるための鍵となります。これは、企業の持続可能性のみならず、グローバルヘルスセキュリティの確保という社会的な責任を果たす上でも不可欠な取り組みと言えます。